見方 eye view 2003 5 30

 日本の外交を見ていて、国民は、わかりにくいと思うでしょうね。
これは、見方もしくは定見というものを、いくつか持っていないと、
なぜなのか、わかりにくいのです。
 日本の外交というと、外務省がその仕事をしています。
外務省のなかも、いろいろと分かれています。
政治家が派閥に分かれているように、
外務省も、アメリカ派、中国派、北朝鮮派など、いくつかに分かれているのです。
そして、たとえば、アメリカ派の官僚は、アメリカの利益を代表し、
中国派の官僚は、中国の利益を代表し、
北朝鮮派の官僚は、北朝鮮の利益を代表しているのです。
政治家も同じように、アメリカ派、中国派、北朝鮮派など、たくさん分かれているのです。
政治家には、その他に、民族派もいます。
このように、デパートのごとく、にぎやかなのです。
しかし、デパートが最近、構造不況業種になったように、
政治家も、官僚も、構造不況業種のようなものです。
デパートも政治家も官僚も、明確な定見を持っている人が少ないから、
木の葉のごとく、いろいろな方向に揺れるのです。
 さて、国際政治もわかりにくいかもしれません。
これも、いくつかのモノサシを持って、見る必要があります。
最近は、キリスト教国とイスラム教国のことが、大きく話題となりました。
イスラム教国は、その看板に偽りはないのですが、
キリスト教国については、少し看板に問題があります。
イエスキリストは、愛について説きました。
愛とは、人と人を結びつける力です。
あるいは、人と人を調整する力です。
このモノサシでみると、多少、看板に偽りがあることに気づくはずです。
どちらかというと、愛より、正義の実現の方が強いでしょう。
正義の実現を象徴しているのは、モーセです。
ですから、最近のキリスト教国は、正義の実現ばかり主張していますので、
キリスト教国とは言いにくいのです。
モーセと言えば、ユダヤ教です。
こうしてみると、キリスト教国は少なく、実はユダヤ教国が多いのです。
実にさびしいことです。
しかし、これが現実なのです。
イエスキリストは、聖書にあるように、
私の言うことを聞くだけで、実際に行なわない者は、
砂の上に家を建てた男に等しいと教えました。
さて、砂の上に建てた家は、今後、どうなるのでしょうか。